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お膝元

 吾輩は人工膝関節である。名前はまだない。
 人工膝置換術(ちかんじゅつ)
(※注1)。漸く吾輩の任務の時が来た。昨日(きのう)、医術粋(すい)を集めて作られた吾輩の金属の身体はピカピカに磨かれ、ワゴンの上で緊張しながら待機していた。吾輩のお仕えする御主人はどんな人だろう? 確か六十半ばの女性だと小耳に挟んだのだが。
 やがて手術室のドアが開き、運ばれてきたその人は色白の少しふっくらした可愛い人だった。どう見ても五十代にしか見えない。その人は、睡眠薬を嗅がされ、あっという間に眠ってしまった。
 暫らくして、吾輩はその人の膝の中に収まり、静かに、膝の縫合が終わった。
「終わりましたよ!」と、先生に云われて、その人は少し驚いた様子で目を覚ました。
 家族の見守る中、その人は、213号室の特別室に吾輩と一緒に運ばれて行った。
 旦那さんらしき人が、心配そうに覗き込んでいるのが膝の縫い目から微かに見えた。
 やがて夜が更け、介護の資格を持つ次女だけが残り、皆帰って行った。
 その人の事を吾輩は奥さんと呼ぶ事にした。
 奥さんは夜通しうなされていた。
 朝が来て、ベッドを少し起してもらい、吾輩のいる左膝をじっと見つめ「まるで鉛のように重くて、ビクとも動きはしない」と、奥さんは次女に、悲しそうに言った。
 吾輩も悲しかった。吾輩は鉛なんかじゃない…
 次女が帰るのと入れ違いに旦那さんが来た。
「どう、具合は?」旦那さんは、奥さんの額を撫でながら尋ねた。
 奥さんは小さな声で「痛いー」と甘えるように云った。
「そりゃあ、異物が入っているんだから、馴染むまで我慢しないと…」
『な、なんだと? 吾輩の事、異物だと!』 もう、奥さんの膝の傷も小さくなり朧(おぼろ)げにしか見えないが、恰幅のあるこの旦那が、何故だか嫌いだ。  
 もしかしたら、これって嫉妬?    
「ネェママ良くなったら2人で旅行しないか」
「ん?2人! 吾輩を入れて3人じゃないのか?!」
奥さんのお膝元にお仕えしてからすでに10日が過ぎようとしていた。
 すっかり膝の傷も癒え、綺麗な奥さんの顔も見る事が出来なくなり少し淋しい気がしないでもないが、吾輩には奥さんと一心同体と云う自負がある。
 リハビリの先生がやって来た。ドラえもんの、のび太そっくりだ。吾輩は奥さんと一緒に引っ張られたり曲げられたり、それはそれは大変だった。「なかなか関節が馴染みませんね~」とのび太先生は言った「そ、そんな!」吾輩は奥さんと一心同体と思っているのに……
 次の朝、奥さんは小さな声でお祈りをしていた。
「如何かこの人工関節が私の身体の一部となりますように」そして吾輩を撫でながら
「ネェ~、ハニー」
吾輩の名は〝ハニー〟
跳び上がらんばかりに嬉しくて小躍りした。
リハビリに来たのび太先生が言った。
「やけに今日は膝が軽いですねェ~」


-fin-


【注釈説明】

※注1 人工膝置換術(ちかんじゅつ)

 変形性膝関節症や関節リュウマチによって、変形した膝関節の表面を取り除いて人工漆関節に置き換える手術。インプラント。

2014年9月課題
  冒頭文章は、吾輩はOOである。名前はまだない。
  この文章からスタートする。


*フィクションとして出された課題ですが、丁度人口膝置換術のため入院していた時、病院で書いたノンフィクションです。
(但し、可愛いという設定の所だけ、フィクションです)

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